亀戸天神の史跡・・・累卵塔

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亀戸天神の境内にある「累卵塔」は1990年に江東区有形文化財(歴史資料)として登録されました。

累卵塔ができたのは明治20年と刻印されています。勝海舟とともに幕末の三舟と言われた高橋泥舟と山岡鉄舟の作で、誌は高橋泥舟、画は山岡鉄舟の作です。

累卵塔は、幕末の記録を後世に残すとともに、当時の明治政府も累卵のようだということをあらわしているのかもしれませんね。ちなみに累卵とは卵をいくつも重ねてのせることで、バランスが簡単に崩れそうで非常に危ない様子を表しているそうです。

幕末ドラマが多く放送されていますが、高橋泥舟・山岡鉄舟ともにその時代を生きた幕府の役人でした。

山岡鉄舟は、浪士組を結成したときの取締役で清河八郎とともに京へ行ったり、江戸無血開城を決めた勝海舟と西郷隆盛の会談に先立って、ひとり駿府で西郷隆盛と下交渉を行いました。維新後は、茨城県初代参事などののち明治天皇の侍従となった人物です。

高橋泥舟は、江戸に戻った清河八郎ら浪士組の取扱いを行なったり、徳川慶喜へ官軍への恭順を進言し、徳川慶喜が上野東叡山へ退去したときも、水戸へ下るときも護衛した人物です。

山岡鉄舟は明治21年に座禅を組みながら亡くなったそうですので、亡くなる1年前にこれを残したのですね。
ちなみにアンパンで有名な銀座の木村屋總本店の看板は山岡鉄舟が書いたものだそうですよ。